恋月姫先生のお人形をきっかけに、
球体関節人形という存在を知り、
そこからお人形の世界に足を踏み入れた私ですが、
最初はお人形に詳しい方々の仰っている意味がよく分かりませんでした。
たとえば、こんな言葉です。
「あの人は上手いんだけど、何か作品に魅力感じないんだよね」
「あの人は造形は微妙なのに、作品全体としてはすごく魅力的」
「もう少し粘土人形でがんばれば良かったのにね。ビスクに頼りすぎ」
「人形初心者には評判良くても、目の肥えた愛好家からすれば全然ダメ、がっかり」
お人形を作るのが上手ければ、即ち魅力的な作品になるわけではないのか?
お人形を作るのが上手いというのは、可愛いお人形を作れるという意味ではないのか?
話についていけなかった私は、
そもそもは恋月姫先生のお人形にしか興味が無かったのですが、
あらゆるお人形を調べまくりました。
当時アンティークドールは余り調べず、
また、作品の姿ばかり見て、作家名や作品名はなかなか覚えられていなかったりするのですが
十年以上かけて、何百体、何千体(何万体?)と見ているうちに、
最初意味が分からなかった言葉も、
少しは理解できるようになった気がします。
確かに、「上手い≠可愛い」なんですね。。。
というのも、お人形の作風には「可愛い」だけではなく、
「綺麗」「怖い」「迫力がある」「不気味」「神秘的」等、
様々なジャンルや表現がございますし、
「上手い」というのは、おそらくよりリアルに細かいところまで、
造形を作り込める技術力を指すのだと解釈するようになりましたが、
精巧なら素敵なお人形になるとも限らない為…。
もし、リアルなほど良いお人形になるとすれば、
3Dプリンターで作ったヒトの複写や蝋人形などが、
至高のお人形という事になるはずです。
では、これほどまでに惹かれる恋月姫先生のお人形と、
私が心惹かれないお人形との差(違い)は何なのでしょうか?
↑これは、私が繰り返し疑問に思ってきた事です。
お人形は、造形力以外にも、好み、センス、世界観、
様々な要素が織り重なってひとつの作品として誕生しますよね。
惹かれる理由は一つではないと思います。
また、世の中には、恋月姫先生の作品に惹かれない方もいらっしゃるかもしれませんが、
少なくとも私が先生のお人形に強く惹かれる理由のひとつは、これかもしれない、
と思い至った事があります。
それは、2005年に恋月姫先生がご自身のブログで綴られた、あるお言葉でした。
恋月姫先生にとっては、ごく当たり前の感覚でいらっしゃったかもしれませんが、
私にとっては、衝撃でした。
その時は、まさか自分が恋月姫先生の人形教室に通わせて頂ける事になるなんて、
夢にも思っておりませんでしたが、
あのお言葉は、きっとこの先もずっと、私の心に残り続けると思います。